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阿蘇 大野勝彦美術館での気付き。HSPな私は強がっていました。

先日、大阪から、友人が遊びに来て、素敵な絵をプレゼントしてくれました。それには、「今しか見れない景色がある。今しか逢えない人がいる。今しか言えないありがとうがある。」と書いていました。HSPな私は、感受性が高く、描かれた絵と文字を読んだだけでに凄く感動しました。本当にそうだと思ったからです。私もそんな想いから、47年間離れていた母と会い「ありがとう」を伝え、そして大自然、熊本に移住したからです。

大野勝彦美術館

これを書いたのは、熊本県生まれの大野勝彦さんという義手の詩画家の方です。高校卒業後、実家の農家を営んでおられましたが、45歳のとき、機械の作業中に手を巻き込まれ両腕を切断。直後から“湧き出る生”への思いを詩や水墨画に表現し始められ、制作活動の傍ら全国で講演を行っておられます。感動を呼んでいる講演回数は延べ4000回を超えるそうです。

大野勝彦美術館公式HP
http://kazenooka-museum.jp/

私は、友人からその話を聞くまでに「腕がない」「義手」というキーワードが出てきていて、何かあるのかもと思っていました。私には妹が二人います。一人は母が離婚した後に別の旦那さんとの間にできた女の子です。あとで知ったのですが、その妹には右腕がありません。47年ぶりに母に会ったとき、私にはもう一人妹がいることを知りました。そして会いたいと思っていました。その願いが叶わないまま関西から熊本へ移住したのです。

が、数日たったある日、母からLINEで「娘があなたに会ったと言ってる」と連絡がありました。え?どこで?私は知らない・・・。良く聞いてみると、私の妹は市役所の職員で、戸籍を扱う部署で働いていました。私が母のことを調べていたので不審に思ったのでしょう。母に「探している人がいるから気をつけて」と、連絡があったらしいのです。そりゃ、怪しいですよね、自分のお母さんのことを調べている人がいるなんて(笑)。私は、そうか、会っていたのか、誰だったんだろうと思い出そうとしても中の職員まで覚えてる訳もなく・・・。そこからある日、ふと母に電話したくなり電話をしたときに、たまたま妹の話になり、妹には右腕がないと知ったとき「ドキッ」としました。
なぜかというと、母を探しているとき、市役所の窓口で私に母の戸籍を手渡してくれた女性には右腕が無かったからです。会っていたんだ・・・。そこから私は妹と話がしたいという想いが強くなりました。までそれは叶っていませんが、これから叶っていくのだと感じています。

そして、先日、広島の友人と電話で妹の話をしていると、偶然にもその友人が勤めている大学の関連機関が義手の研究をしているという話をしてくれ、もし必要なら声かけてと言ってくれました。その次の日、遊びに来た友人が義手の詩画家大野先生の話をしたのです。これは、行けということなのかもしれないと思い、阿蘇 大野勝彦美術館に行ってきました。そこで妹と直接関係することは無かったのですが、大きな気付きをいただきました。

HSPな私は、自分自身がありのままの自分に近づくことで、今のHSPのクライアントさんにとっても、家族に対しても、周りの友人に対しても、社会に対しても貢献できることが沢山あるのだと考えています。ですので、毎日自分と向き合っています。大野先生は、両腕をなくすまで、ありがとうを言えない人だったと言います。何でも自分でやってしまい、他人頼ることは無かったのだと。でも、両腕を無くしたことで、自分一人では何もできないことに気付き、手伝ってくれる周りの人や笑顔をたやさずに側にいてくれた子どもたちに震えるくらい感謝ができたそうです。私も、意地をはって、自分でできる。助けはいらない。誰にも手伝ってもらわなくても大丈夫。一人でやれる。と、思っていることがありました。でも、本当は助けてほしい。一緒に手伝ってほしい。と思っていて、弱音をはけない自分がいました。何の意地をはっているのだろう、私はなんぼのもんなんだろう、弱い部分を出してもいいんだ・・・。全ては傲慢な私の在り方がそうさせていることに気付いたとき、「あ〜、ごめんなさい。私は弱い人間です。」と、思うことができました。そして、これまで私に関わってくれた人に対し、「ありがとう」という思いで溢れ、それとともに、何かから開放されたような、安心した気分になり、涙が・・・。そしてホッと落ち着きました。大野先生、有難うございました。

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