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HSPな私が喘息になった理由とは

これから起こることは、自分自身が本当は分かっている。HSPな私は、敏感がゆえ、直感を感じやすいのです。でも、直感を感じても、行動しなければ何も変わりません。

先日、今年に入ってから胸のあたりが苦しいので念のため病院に行ってきました。検査の結果、喘息だと診断されました。

私が喘息にかかるなんて・・・。思ってみなかったことに少しショックを受けましたが、起こっていることには意味がある。と、思いこれまでのことを振り返ってみました。

今年に入って、ある研修を受け、私が気付いた心の底からの叫び、キーワードは、「愛」と「母」でした。

その研修の中で、思いと感情を一体にし、心の底から自分をプレゼンするというワークをしたときに、このキーワードが出てきました。

「愛が欲しい」「母と会いたい」そんな思いが急に加速し、私を行動へと導きました。

愛を届けたい私が、愛を欲しがっている?

母のことは、47年間、会いたいなどと思ったことは1度もありませんでした。なのに、会いたい?

私は、自分自身のことを分かっているつもりでいましたが、自分の気持ちに蓋をして気付かないふりをして我慢していたのです。

本当の自分は、愛を欲しがっていて、母と会いたがっていたことが分かり、びっくりしました。

HSPな私は、周りの人の意見や考え方に合わすことがとても得意でした。空気を読みすぎて話すことができなくなった時期もあります。

楽しくなくても楽しいふりができたし、嫌いな人の良い部分を見て、好きになろうとしていました。嫌いという気持ちに寄り添うこともなく、それはいけないこと。と解釈していたのです。

そんなことを繰り返しているうちに、本当の自分がどう思っているのか?が分からなくなっていたんですね。

でも、今の仕事を始めてから、自分と向き合うことをしていくうちに、驚くほど色んなことを我慢して、やっちゃだめ!と自分を捌いていた自分を発見しました。

でもここに来て、まだ知らない自分がいたことに気付かされました。

1年ほど前に、何となく家族関係について、もう少し深堀りしたほうが良いのではないかと直感的に気付いていたのですが、本気ではありませんでした。行動しなかったのです。やっぱり、潜在意識では気付いているものなんだなぁ、とこれまでの自分の直感については関心するものがあります。

母に会いたい。という思いが顕在意識に現れだすと、セラピストさんや、ヒーラーさんから「お母さんと会ったことあります?」「お母さんがキーワードですね」と、「お母さん」という言葉をよく言われるようになりました。

はい、知ってます!自分で最初から分かっていました!と言いたくなりました笑。

父親からの愛情、母親からの愛情をどう感じていたのか?と自分と向き合う日々。

私がメソッドにしているワークやメンタルトレーニングを使いながら、過去の思い込みを癒やし、ひとつひとつ感謝に変わっていくことに喜びを感じることができるようになりました。

そして、先日のブログに書いたとおり、母との再会を果たし、愛と喜びと感謝の感覚を得ることができ、私は父や母、そして周りの人々に愛されていたんだ。ということが分かった瞬間に涙が止まらなくなりました。

喘息だと分かって、3年ほど前に買ったスピリチュアル版、家庭の医学「本自分を愛して(リズ・ブルボー著)」の、「喘息」という部分を読んでみました。この本にはこれまで自分がかかった病気について、色んなヒントを頂きました。

この本の中に、なんと、

愛されようとするあまり「もっと欲しい、もっと欲しい」という思いが私自身を害し窒息させようになっている。ということに気付いてください」と書かれていました。

私は、もっと愛が欲しい、もっと愛が欲しいと思っていました。

「愛されようとするあまり、実際の自分よりも強く見せようとして、自分の限界を認める事がなかなかできない。」

そう、愛されようとして人の役に立つぞ、と自分を強く見せようとしていました。

限界がきていても、大丈夫、と頑張っていました。

「物事が自分の思い通りになる事を望み、それができないと分かると、相手の注意を引くために「口笛」の音に似た喘息を引き落こす。そんなふうにして自分が自分の望むような強い人間ではないことに対して、絶好の口実を作る。」

「あなたは、もういいかげんに、自分が限界を持った弱い人間であることを認めなければなりません。つまり、自分がごく普通の人間である事を認めるのです。あなたは、自分が重要であり、愛されるに値する存在である事を証明するために、まわりの人たちを喘息という病気によって支配する必要はないのです。」

「愛が足りない」という思い込みから、もっと欲しい、そしてそれを証明したいあまり、父、そして周りの人たちに対して、私はこんなに与えている、だから愛されるに値する人間で、価値があるでしょう?と、求めていたことに気が付きました。

私は強くならなければいけない。という執着を捨てようと思います。弱い人間で普通の人間で良いです。周りに自分が愛されていることを証明する必要もないし、自分自身に対しても、それを証明する必要もない。

もっと自由に振る舞って良い、愛されようとしなくて良い。私は周りにいる人、そして物、自然そのものに今、愛を感じています。

車で走っているとき、自然から愛を感じる。守られている感じ。いつも見ていてくれてた感じ。心配ない、安心した感じ。感謝が溢れてきます。


本の続き  「生まれて初めての呼吸は、私たちを母親から独立させ、自由にします。ですから、呼吸がうまくできないということは、母親から自分を切り離し、未知に向かっていくことができていない、つまりまだ自立することができていない、ということを表しています。」

母との関係に於いて、会ったことから、こころからの喜びと感謝を味わい、愛を受け取ったことで、心の自由を感じました。そして母からの愛が欲しいという執着もなくなり、母親から自分を切り離すことができたような気がします。

母と会ったことは、本当に自分にとって大きな成長となりました。

喘息になっていた理由が分かった途端、私の中で何かから開放されたような、自由を感じました。

本当の意味で、これまで頑張っていた自分を許すことができたような気がします。

そのままでいいんだ。

改めて気付かせてくれたこの体に心から感謝します。

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